東日本大震災から5年がたったわけだが
先日、ツイッターを始めてかなり早い段階で相互フォローになった産婦人科医と飲んでいて、うちの研修医もいたので、どういう知り合い方をしたのかというところからの説明になった。
ちょうどツイッターを始めて半年くらいの時期に、東日本大震災が起きた。それまでは、知らない人からフォローされたり、リプライが飛んでくることに戸惑い、「禿同」とだけコメントのついた引用RTにはリプライを返すべきなのかさえ迷う初心者っぷり。
しかし、ライフラインも、陸路空路全てが閉ざされた。情報の全く入らない世界。経験したことがなかった。
「なにか情報を発信してください」と繋がっていた産婦人科医に言われ、病棟の助産師にきいて思いつく限りの有用かもしれないことをツイートし続けた。そういう中で、たいてい今相互フォローの産婦人科医の先生方とはつながった。
その頃のツイッターは、救助や支援を求めるRTで溢れ、極端につらい話や極端にいい話で気持ちは乱高下していた。
救助に関するいい話、日本人の礼節の正しさ、節電についての注意喚起。
日本が一つにまとまったかのような錯覚の後が本番だった。
AERAは「放射能がやってきた」という扇情的なタイトルを見出しにした。
「鼻血がでた」「原因不明の体調不良」全てが原発の事故のせいになった。
病院では、「これ以上放射能を浴びたくない!」といって検査を拒否する人が現れ、あろうことか福島出身の母親からは「福島では無脳児がたくさん生まれているんだって!」と「報告」された。
「いや、そういうことがあれば公式に発表があるから」と言っても、ヒステリックに「お前は騙されているのよ!」と返ってきた。私はそれ以来、「科学的」な話を一切母親とはしていない。
話にならないからである。
リアルで関係のある間柄でもそんなわけだから、ネットで、前提とした知識を共有しない顔の見えない人たちが誤解をしていようとも、解くことはできないだろうと推察され、放射能の話題は周囲のツイッター医師にとって、アンタッチャブルな話題になった。どんな罵倒が飛んでくるかわからない、ツイッターは戦場になってしまった。
「手術台を水平に戻してください」と言いたかったのに「正常位でお願いします」と言っちゃってさ〜とツイートしたとき、「暗い話ばかりだったので、久しぶりに笑いました」というリプライをもらったことは忘れられない。
飲み会も明るい話も自粛、不謹慎の嵐だった。
震災前のツイッターがどんな空間だったのか、今はもうあまり思い出せない。しかし、有用なことをツイートする場でもなかったし、デマを打ち消す場でもなかったし、人格攻撃の飛び交う空間ではなかった。
あらゆる年代の、あらゆる知識や情報処理能力、リテラシー、全てにおいて差のあるツイッターという社会は、震災によって変わったと思う。
そして、変わったまま5年が経った。
デマを善意で拡散していた人たちは、自省することもなく、次のデマに飛びついている。あるいは、なかったことにしている。
デマと闘ってきた人たちはどうだろう。
ツイッターからは姿を消した。あるいは同じ言説と闘い続けている。
争いが続いたことで何か成果のあった実感を持つ人はいるのだろうか。
デマを打ち消したいときに、暴言を吐くのも、せせら笑うのことも、するべきではない。
ただ、優しい、わかりやすい言葉を用いて一から説明した人はこの5年の間、たくさんいた。
今、そういう人をあまりTLで見かけないならば、それはもう疲れたからだ、と思っている。もう十分すぎる時間が過ぎた。
そして、理論で殴れる人と、それを理解する気もなく殴り返す人が残っているだけだ。
多分、ツイッターは、日々目にしたおもろいことや変なことを共有できればよかったんじゃないかと思う。そういう意味では、日本語ツイッタラーの多くが震災の被害者であり続けているのかもしれない。
個人の見解であって、断定調であってもそれが誰にとっても正しいわけでもなく世の中にはいろんな意見があっていい、あなたの意見とは違うかもしれないが私はこう思ってますみたいな注釈いれて終わります。
産婦人科の治療のお話
出会い系サイトで男を渡り歩く女たち
心理の人によるアンパンマンに関する考察
「お客様の中にお医者さまはいらっしゃいませんか」で手を上げない医者の理由
このまとめや関連するツイート読んでて思ったこととか。→
大野病院の産科医逮捕事件や加古川市民病院の心筋梗塞事件以降、医療者側の「訴訟を起こされる」ことに対する不安感が強くなっていて、「訴訟の勝ち負け」とは違うのよね。
— のーないすこうぷ (@nonaiscope) 2015, 6月 7
飛行機の「お医者様はおられませんか?」に応じて訴訟となったケースレポート。重症気管支喘息に医師含む複数の医療者で2時間の心肺蘇生を行うも救命できず。結果は無罪だが時間・弁護士コストおよび精神的負担が問題になると。
/NEJM http://t.co/BO3OTWWrWO
— レ点 (@m0370) 2015, 6月 9
@fuchikoma1977 いわゆるヨキサマを導入してもどのみち善意無重過失を立証されなければ同じことですにゃぬ。だから、現状の経済的損失、時間のロス、社会的信頼の喪失は問題だと私も思いますが、それがヨキサマを導入して解決されるとは思わないのですよね
— かずくり༄ (@kazu_clinica) 2015, 6月 7
必要なのは「善きサマリア人の法」ではなくて、ルフトハンザ航空のDoctor on boardプログラムのように、「報酬と責任は会社がちゃんと持つから、旅客に何かあったらよろしく頼む」という姿勢を鉄道・航空各社が取れるかどうかじゃないの?
— のーないすこうぷ (@nonaiscope) 2015, 6月 7
産婦人科医としてというより、個人的に内診について思うこと
子宮頸癌で亡くなる人は、年間約3000人。子宮体癌は約1000人。
一方、婦人科検診の受診率は20%程度。進行するまで痛みや体の不調をほとんど感じづらいので、かなり進行してから初めて婦人科を受診する人も。毎年検診だけでも受けておいてくれたらなあ、というのはそこに関わる婦人科医の思っていることだろうと思います。手遅れになった症例を経験すると「どうしてもっと早く来なかったんだ…」という思いが先立ってしまう。
じゃあなんでみんな婦人科検診受けないんだろう?だって年間何千人も死んでるんだよ?自分の体のことでしょ?
うん、そうなんだ。それは正論だと思う。あと、受けない人の大半は今そこに差し迫った危機があるわけじゃないと考えてるからだろうな、とは思う。
病気があれば何かの症状が出てくるでしょ、それから受診でいいのでは?という人もいるし、その他に優先する例えば仕事とか家事とか介護とかそういうのがあったりする。検診のためにそれを後回しにできるか、ほかに代わってくれる人がいるかどうかも受診するには大事なポイントだと思う。
でも、産婦人科医になって、とにかく受診するのに心理的にハードルの高い科だなと。思ったよりもはるかに性的な暴力を受けたことがあったり、すでに別の産婦人科で恐ろしく嫌な思いをしたことのある人が多い。だから、必要があって受診はしているけれども、むちゃくちゃ恐怖心や嫌悪感を伴いながら内診台に乗っている人がいるということ。これは常に頭においておきたい。
そしてまず問診。「性交渉の経験はありますか?」
うっ、なんでこんなこときかれるんだろう…
レイプされたことはあるけど、それ以来男性が怖くてセックスなんてできないけど、これって「経験あり」になるの?なるとして、この後私は何をされるわけ?下半身丸出しにする以外に診察する方法はないんですかい?
「妊娠、分娩歴は?」
…昔したことがあるけどそれについては触れたくないなあ…
というような方もいらっしゃるでしょう。
場合によってはセックスの回数答えなきゃいけなかったり。嫌すぎる。
診察。たいてい下半身裸になるところからスタート。股間のスースー具合が心もとなさすぎでしょ。
内診台最初乗り方わからんし。
えっ、何入れられてるんだっていう器械いれられるし。クスコっていうんですけどね。くちばしみたいな形してて、広げないと奥が見えなかったりもするんですが、そうされると痛いんですよ。しかも冷たいままだったり。
あっ、内診のときよく受ける質問ですが、靴下ははいたままで大丈夫です。
とにかく、超!プライベートすぎるんですよ、産婦人科は。しかも診察はプライベートゾーンをさらさなきゃいけないんですよ?診る方にはその対象物でしかないけど、そこは私のもので、断りなく見せたり触らせたらアカンとこじゃないですか!
私自身、患者として産婦人科の診察を受ける時は、「あー今めっちゃ肛門まで見えてるわー…なぜ私はこんな格好を…」「もうちょい痛くないような配慮を、ちょっとでいいんで!オナシャス!」とウンザリした気持ちで股を開いています。
それを口に出して言えるかっていったら言えない患者がほとんどでしょ。私も虚ろな目で無言ですよ。
いや、必要だからみせるの普通でしょ?っていうのはほんとごもっともなんだけど、じゃあ、そこにみせてもいい信頼関係があるかどうかも大事でしょ。
そこで医療者は「えっ?なんで診察させてくれないの?」的なことで患者を責めるような発言をしてはいけない。そこに信頼関係がないか、なんらかの診察を拒絶する理由があるはずなんですよ。性交渉の経験があるかどうかもそこでは無関係。だってセックスするときは相手との信頼関係というか合意が一応はあるじゃん!
あとは、心ある産婦人科の先生が「自分は」診察のときに細心の注意を払って、丁寧な対応を心がけてます、というのは、すでに嫌な思いをしたことのある人の気持ちはなかなか動かせないわけです。だって、「私」が出会った産婦人科医がものすごく嫌な感じだったら、次もそうかなって思うじゃないですかー!どこに行ったら信頼できる先生に出会えるかは約束されていないじゃん。
「内診台で股を広げたまま放置されていた」「内診のときに怖くて拒否しようとしたら押さえつけられた」
他にも心ない言葉を吐かれたり、産婦人科で嫌な思いをしたことのある人は私たち産婦人科医が想像するよりずっと多いんじゃないかな?
「めげずに信頼できる産婦人科医を探してみて!」
都市部ならまだしも、地方にはそもそもその選択肢さえない。検診は検診車のバスのみとか、質問させてくれない、すると不機嫌になる医者だったり、前述のようにプライベートゾーンをさらしていることへの配慮が全くない医者しか行動範囲にいなかったら?症状も気力もないのに時間とお金をかけて探して遠方の産婦人科受診するかっていう話。
いろんな配慮をしてる先生がいるのはたしかです。自分もやってる「つもり」。
でも、それが伝わってるか、一般的かというとそうじゃないと思います。
だから、受診してっていう啓蒙も大事だとは思うんですけど、同時に患者に嫌な思いをさせないことも医者同士で啓蒙するなりなんなり必要なんだろうなと思ってます。
あと、SNSでときどき気になるけど、なるべく患者を責めるような受け取りにならない文章を綴ることに気持ちをさいたほうがいいと思うんですね。
どうしたって医者と患者は多少のパターナリスティックな関係になりがちです。まあたまにめっちゃ暴言吐いてくる患者もいるけど、それはそれでおいといて、心理的にも対等と実感できる人そうそう多くないのでは?
そんで患者を責めたり怒ってる医者って怖いしいやだなあと思うから、その人の言うことすんなり腑に落ちないじゃないですか。文字だけのコミュニケーションは思うように伝わらないけど、伝わらないかもしれなくてもぞんざいな言葉でいいわけじゃない。限界はあるけど余計に丁寧に。
「思ったこと、わからないこと、不安なこと言って!」と医者は言うけれど、私も患者として診察受けてるときは言いたいことの10%くらいしか言えてないと思います。
「私はいつでもきく準備はできてるよ!」と医者に言われても、そう簡単にできないって。そういうもんでしょ。正論と現実は一致しないことよくあるって。
患者である私が何か発言することで、ムッとしたりする医者もいるじゃないですか。さっきも言ったけど、「私はそうではありません」ていうのは、すでにされたことのある人には説得力があまりないんですよ。
言えないものだから、「他にわからないことやきいておきたいことはありますか?」って質問が最後に必要なんだと思う。
あとは、患者は言いたいこと言えないもんだけど、できればおかしいことについてはどんどん声をあげていただきたいなと思ってます。面と向かって言えないときは、投書も有効です。人格攻撃は受け付けてないんでそこはよろしくお願いします。
同じような種類の人間が集まる集団内にいると、外の世界では非常識であるという感覚が鈍りがちで、「えっ、これがこんなに嫌がられてたのか」ってわからないもんだし、言われて初めてはっとすることもあるんですよね。言われなきゃわかんねえのかよと怒られればそれまでなんですけど。これは別に医者に限ったことじゃないと思うんだよね。
以上、患者として思ってることメインで、医者として思ってることちょっと。
でもまぁ、一生懸命されてる先生には心外な文章であろうことも承知しております。
その努力は称賛した上で、失礼な文章になるかもしれないことは申し訳ないなと思ってます。
患者さんにおかれましては、嫌だろうなとは思うんですけども、承知しておりますけども、できますれば検診受けていただけると幸いで、受けていただけるよう努力していく所存です。