死にたいと言われたときにド素人はどうしたらいいのか

ガチで死にたいと言われて、多分動揺しない人はいないと思う。

全く別の理由で会いに来ると思ってた知人から、「どうしたら楽に死ねますか」「どうして死ぬ方法を考えてくれないんですか」といきなり言われて、まず自分の思考が停止するのがわかった。楽に死ねる方法を仮に知っていたとして、教えられるわけがなかろう。かといってこの瞬間私はどんな言葉を口にすればいいのか。

 

精神科の教科書をみても、一般的なことは書いてあっても個別の対応なんて書いていない。
ので、いつか誰かの参考になればいいのだけど、と思って書くことにした。
医療者でなくとも理解不能な話ではないと思う。

 

とりあえず話をきくと、死にたくなるに十分だろう理由があった。
これはどんな言葉も響かず、虚しく消えていくだけだと確信した。大変だったねとか、つらかったねという言葉は滑っていくだけだ。

薬もたいして効果はないだろうと推測された。どれだけ寝ても絶望は記憶から消し去ることはできないし、目の前に横たわって動かないだろう。薬でどうこうできるレベルは果てしなく超えている。

 

それでも、何かアクションを起こすのが人情だろうなと思う。
リンクは、死にたいという人を見かけたら、という精神科医による記事。
やってはいけないことは、説教と議論。
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/toshihiko-matsumoto?utm_term=.jvY3VLLRWn#.qy8JZqq38O

 

まぁその人の場合、すでにきちんと精神科に通院していた。

今回感じたのは、身近な人による、現在の精神科かかりつけの否定、治療方針への不信を煽る言葉、勝手に転院や内服薬に干渉することのヤバさ。
これ、めっちゃ難治だったり原因不明の病でもみられる現象なんだけど、

 

・精神的に不安定な人に、現状についてさらに不安を煽る


・話を聴いて自分への依存をさせる。周囲から距離を置かせ、孤立させることで自分の影響力を高めていく


・現在のやり方を否定して治療のルートから外す

 

これ、かなり危険だと認識してほしい。
身近な人が死にたいと言っていて、何もできないことに無力を痛感する。わかる。
何か手助けをしたい。目に見える形で、成果を伴うものであって。わかる。

 

でも、あなたのすることは治療じゃない。
投薬などの「治療」は何もできないということを自覚して、それでもなおそばにいること。物理的なそばでも、心理的なものでもいい。
一見何もしていないように見えても、それがそばにいる人のできることで、死にたい人の求めていることなんじゃないかと思う。死にたいくらい辛いときに、それでも死んでほしくないという人が近くにいて、離れないでいてくれる。
その人が死にたくなくなったとき、あなたがそばにいてくれたことは、最大の「治療」になっているかもしれない。

 

そして、人は絶望からそうそうすぐに立ち直れるものじゃない。忘れることもできないのだから、「忘れよう」「なかったことにして今まで通りの生活を送ろう」というおすすめをしてはいけない。
今そこにある絶望に耳を傾けてほしい。
ときにそれはつらい作業になるだろう。そばにいる以外何もできないのだし、それで相手の死にたい気持ちが消える可能性はさほど高くないかもしれないからだ。
時間もかかるだろうが、焦って「同じくらいつらい思いをしている人もいる」「私もつらい」というような、絶望の否定をしないこと。

 

それから、医者に代わって「治療」をしたがる人の危険性について。
一緒にいる時間が長ければ話をすることも多いだろうし、医者より長い時間を共有することができる。話を聴いてくれるあなたに、患者がかなりの精神的な依存を強めてくることはあるだろう。しかしそれを権力として使ってはいけない。治療の司令塔になってはいけない。
また、あなたと相手は別の人間で、できることにも限界があることは提示しておいた方がいいだろう。依存させるだけさせておいて、それまでの医者から遠ざけ、治療を中断させるなどした後で手に負えなくなって放り出したとき、相手は着実に破綻への道のりを進む。最悪だ。

今回実際に行動に移し始めていた近親者がいたし、本人も治療への不信も口に出し始めていたのでヤバかった。

 

スポーツのチームであれば、監督は1人だ。観客が監督の采配に異議を唱える自由はあるが、選手席で監督をし始める観客がいたらヤバいでしょう。
司令塔が複数になることで選手は混乱する。もともとあった監督と選手の信頼関係が崩れ始めると、もはやチームとして成り立たない。

医療にも同じことが言える。医者と患者には信頼関係がなければ医療そのものが成り立たない。

「この薬は効いてないんじゃないか」「転院した方がいいのではないか」転院先を探して連絡してしまう人もいる。身近な信頼している人のそうした行動が、善意からであっても今までの治療をぶち壊しかねない。

 

繰り返しになりますが、本当に死にたい人に、速やかに効く特効薬はないです。身近な人はそばにいて離れず、話を聴く。これができること。

死にたい人に説教を始めたり、絶望の重い軽いなどのジャッジをしない。今のその人を否定しない。主治医ではないのに主治医になってはいけない。これがしてはいけないこと。

 

精神科の話になると必ず「日本の精神科は腐っていて信用できる医者に出会えない」「薬漬けにして話も聴かない」という意見がくる。わからんでもないが、主治医は24時間一緒にいられるわけじゃない。永遠に話を聴き続けることは不可能だし、それは医者でなく身近な人の役割であろう。それから、薬だけが治療ではない。むしろ薬は補助的なものであって、主たるストレスの排除であったり必要な支援が得られたり孤独でなくなったり、潰れる前にストレスから逃げることのできるスキルを身につける、そういったことなしにひたすら薬が効かないつうてもそら厳しいでよ、と個人的には思っている。

まぁそっちにいくと話がずれるのでまた何かの機会に。

 

今回、予期せずガチで「死にたい」と言われてまず動揺しまくった。行動したことは話を聴くこと。死にたいのは理解できるけど、生きていてくれて嬉しかったと伝えたこと。そばにいる人に、司令塔が複数になると混乱をきたすので、それはやめてほしい、ただそばにいてあげてほしいと伝えたこと。できたのはそれくらい。

最後に、これを書く前に複数の精神科医に話をきいたのだけど、「大事なもの、愛しているものを持っている人はね、死なないんですよ」と言われたのがいつまでも頭に残っている。

つまり、大事なものを持たない人は死んでしまうということで、死んでしまった人に遺された人は、「愛されていなかった」と一生傷を負い続けるのかもしれないということで。

まぁまとまりないけど、とりあえずやっちゃいけないことだけでも参考にしてもらえたら。